初めてのテレビの記憶
初めて見たテレビ番組って何かなぁと考える
74年生まれなので5歳までは70年代
まぁまぁ記憶に残っていることもある年齢かも
子供の頃スケッチブックにやたら描いていたのは【バボちゃんナナちゃん】
バレーボールのキャラクター、バボちゃんは白いけど、赤いナナちゃんもいたのだ
と、今なんとなく気になって検索したら赤いほうがバボ!?そうだったのか…
バボちゃんがキャラクターとして登場したのは77年、ナナも77にちなんだネーミングだろう
私3歳 あの頃から丸っこいものが好きだったんだな
もうひとつ、【ゴレンジャー】の記憶もある
見ながら母親がボソッと
「…キレンジャーは二人目なんだよ」と言った
カレーがどうとか教えてくれた記憶がある
キレンジャーは初代→2代目→初代と交代したそうで、2代目の出演は76年らしい
私2歳 これが一番古い記憶かもしれない
そんな母親(80歳)に先日「初めてのテレビの記憶は?」と質問してみた
以前もそんな話をしていて「踊りだった」と言っていたので、もう少し詳しく覚えていないかと思ったので
「前に訊いた時、踊りだったみたいなこと言ってたよ」と言うと、「うーーーん…踊り?……最初はねえ、羊が草を食べてる写真 たまに変わるの」
どうやら民放の放送開始前の試験電波らしい
踊りはNHKだったのかも
「見ても変わらないの羊の写真 初めて動いたのはねえ…新国劇だった 辰巳柳太郎、緒形拳 あー、トリオ・ロス・チカノス!坂本スミ子とアイ・ジョージとかね… HBC(TBS系)だったんじゃないかな 塔が最初に建ったからね」
お義母さんの話もそうだけど、こういう記憶力は恐らく年配の人のほうが凄い
【お初】がたくさんあった時代だからだろうか
一つ一つに感動し、驚き、ワクワクしたと思う
伯父が撮った昭和49年のNHK
初雪の飲み物
釧路も雪が降りました
本当は少し前に降ったらしいけれど私は確認できていないので今日が私的初雪です
道内でも降雪量が少ない地域なので、連日ニュースで流れる日本海側とは全く違う気候
仕事もスニーカーから冬底の長靴へ
雪が降ると飲みたくなるのはココア
子供の頃家にお風呂がなく、道路一本挟んだ伯母宅へお風呂をもらいに行っていました
たまーにいとこのお姉ちゃんがココアを作ってくれた
分厚いマグカップにあっつあつのココア、上には冷たい生クリーム
それが物凄く美味しくて楽しみでした
家にお風呂ができて伯母宅へ通うことはなくなったけれど、初雪にココアを作るのが自分の中で恒例になりました
森永の純ココアを少量のお湯で練って少しづつ牛乳で伸ばす
沸騰しないように火加減に注意して、砂糖とバターひとかけ
ハンドミキサーがなかったころは生クリームが入ったボウルと泡だて器を持って廊下の階段に座りひたすら泡立てる(寒いところでやったほうがいいと言われたので)
うっかりすると生クリームの冷えた層の下から熱々ココアが流れ込んできて口の中を火傷する
結婚するまで続いた冬のルーティン
どりこのまんじゅうのこと
まんじゅうネタをもう一つ
義母の思い出話
義母は大正12年生まれの98歳だった
大正・昭和・平成・令和の経験者 スゴイ
ちなみに義姉は終戦日の翌日生まれた
出産前、市内が空襲を受けて光るのを病院のベッドで見ていたらしい
で、そんなお義母さん
祖父母に育てられたらしいのだがお祖母さんが潔癖症だったそうで
当時の潔癖症は大変だったんじゃないだろうか 【除菌・抗菌】なんて言葉があったんだろうか(駆除?)
来客が帰るとすぐに座布団をはたき、廊下も磨き上げられて鏡のようだったと
衛生的に問題のある駄菓子類は禁止されていたらしい
紙芝居が来てもお菓子を買えないので見れなかったそうだ(うちの母親もそうだったと聞いたことがある)
大人になり、夜の街には屋台が出ていた
そのころ祖父母はご存命だったのか忘れたが、祖母の潔癖の影響で外にさらされている食べ物にはなかなか手が出なかった
が、憧れもある
初めて食べた支那そばは美味しかったらしい 禁断の味だったこともプラスされて堪らなかったと思う
屋台は他に【どりこのまんじゅう】というのが出ていたそうで
南大通(昔は遊郭などがあり栄えた通り)にある和菓子屋(今も【カクセ】というお店があるけどそこだろうか)で売っていたまんじゅうで、昭和初期に流行っていたらしい【どりこの】という飲み物の名前が付けられている(が、【どりこの】が入っていたかどうかは定かではない 入っていたか定かではないといえば、お祭りの出店の【東京ケーキ】の幕には【栄養わかもと入り】と書いてある 胃腸薬の【強力わかもと】ではない)
【どりこの】は滋養強壮の清涼飲料水で、水などで薄めて飲む
細かな成分はレシピがなく不明だそうだけど主にブドウ糖と果糖らしい
このまんじゅうが大人気で、お店を閉めた後に屋台で売り歩いていたそうな
と、この投稿前に何となく検索したら長野に【どりこの焼き】なるものがあるらしい いや、あったらしい 残念ながら閉業されている
検索でヒットするお店の暖簾の【どりこの】のフォントは本家に似せているようだけれど、【甘い=流行りのどりこの】というあやかり商品名だったのではないだろうか(入れていた時代もあったかもしれないのでそうだとしたらごめんなさい)
こちらでいういわゆる【おやき】 そういえば長野でおやきと言えば野沢菜が入っていたりして別物である
ツイッターでよく「これ、なんていう?」と話題になる
お義母さんは食べたんだったかな?忘れてしまった
もうすぐ99回目の誕生日、どりこのまんじゅうが売っていればな
そしてこの本、面白かったです
はじめましてのご挨拶~葬式まんじゅうのこと
はじめまして
北のアラフィフ、まるむし女房と申します
急にブログを始めたくなりました
きっかけは、9月末に義母が亡くなったこと
10年ちょっと同居していたので思い出話もちょこちょこ聞いていて、基本的に「近所に住んでいた人が」みたいな超個人的な話だったけれど、その中にも忘れがたいと思う話がありました
そういうのは残していけたらな、と思ったのです
あと、割と常に「あれが気になる」と(大したことじゃない内容を)考えている性質なのでそういうのを整理しておきたくなったから
文章を書くのも苦手だし語彙力もない、拙いつぶやきですがお目に留まれば嬉しいです
義母は肺に疾患があり年に1度は入院していました
なので、心配ながらも慣れっこになりつつあったある日
いよいよその時が来てしまう
コロナ禍でお見舞いも行けない状況の中呼び出され、「心の準備を」と言われました
2日後、「そろそろかもしれない」ということで特別に病室に入ることを許可され(一度に入る人数は制限)、最終的にはみんなで看取ることができました
が、シンミリする間もなく怒涛の段取りに追われる
亡くなってすぐ葬儀の準備に入らなければならない 確か「30分以内に葬儀場に連絡を」と言われたんじゃなかったっけか
そんなに急かさなくても…とつい思ったけど、病院だって置いておかれても困るのだ
幸い式場は決めていたので連絡を取り迎えに来てもらい、自宅に戻ると職員さんたちが手際よく祭壇を作り、葬儀のいろいろを打ち合わせる
予算、祭壇の大きさ、デザイン、大まかな人数、仕出しの内容と個数、供物選びでカタログとにらめっこ等あれやこれや
「お引き物に葬式まんじゅう付けますか?」
【葬式まんじゅう】別名・中華まんじゅう(いや多分、葬式まんじゅうが別名)
どら焼きのような大きな皮1枚でこしあんを包んだ三日月形のあれ
ついテンションが上がりそうになるがそういう場ではない
子供の頃は親がお葬式に行く=葬式まんじゅうが食べられるという図式だった
必ず持ち帰ってきたわけではない気もするけど、少なくとも【葬式=まんじゅう】の図式ができるくらいにはメジャーなものだったはず
思い返すと大人になってから食べていない気がする 最後に食べたのいつだろう?
「今作ってるところ少なくなってきてるんですよねえ これは阿寒の菓子屋のです」
カタログには恐らく15センチくらいの細身のものが5個入った箱の写真が載っていて、そういえば昔食べたやつで枕にしても悪くなさそうな大きさのものがあったことを思い出した
2~3日かけて食べきってたと思う あのサイズは今もあるのかな
腕みたいな太さのこしあんギッチリでなかなかヘヴィな葬式まんじゅうだった
結局、「高齢者が多いから」と葬式まんじゅうは付けないことに
ちょっと食べたかったかも、と思わなくもない
市内で葬式まんじゅうと言えばこちらのお店